【Mychoice】50代の「介護・再入社・職場異動」。何度でも支えてくれる場所がある。壁を超えて見つけた“自分の働き方”
職種、勤務地、勤務時間、日常生活ー。仕事をするうえで、私たちはさまざまな選択を迫られます。技術職社員へのインタビュー連載「Mychoice」は、UTグループに在籍する3万名以上の技術職社員一人ひとりの“選択”に迫るキャリアストーリーです。
今回ご紹介するのは、2024年にUTコネクト(現在、UTエージェント)に再入社された、小路 隆行さん。家族の介護に直面する人が多い世代でもある50代で、仕事と介護の両立を目指しながら、再入社や職場異動の仕組みを活用して、自分の働き方を模索されてきました。介護が始まったきっかけやリアルな生活、再入社や異動を実現した背景など、小路さんのお話を聞いてきました。
◆2022年10月 フルタイムで働ける職場を求め、UTコネクトに入社
食品加工を担う吉田東栄CLに配属。
◆2023年4月 介護していた母親の徘徊が始まり、UTコネクトを退職
母親の徘徊をきっかけにUTを退職。
配送業者で深夜の時間帯で働きつつ、スポットのアルバイトを行う。
◆2024年12月 デイサービスとの連携により、UTコネクトに再入社
働ける時間帯が増えたことで、再びUTに。
スチール加工を担う太郎代CLに配属。
◆2025年8月 UTエージェント 分水CLに異動
腰への負担から、2025年7月に担当者へ異動の相談。
太郎代CLから、蛍光灯の製造を担う分水CLに異動。
「数年で再就職を」。コロナ禍で介護と生計のはざまで見つけた派遣での再スタート
もともと埼玉県で小さなカラオケボックスを7年ほど営んでいました。けれど経営が難しくなり、30代半ばでお店を畳むことに。その後は派遣会社に登録し、工場がある新潟県へ両親と共に移り住みました。派遣先で正社員に、という話もありましたが、化学薬品を扱う工場で、当時は爆発事故も頻発しており、安全面に不安を感じて、数年でその派遣会社を退職しました。
次に職に就いたのは37歳のときで、カラオケボックスのチェーン店の正社員。エリアマネージャーとして新潟県や富山県を転々としましたが、私が49歳のときに父の体調が悪化。介護を優先するためにそこも退職しました。ところが、そのわずか1ヶ月後に父は他界。今まで父の介護に専念していた母もアルツハイマーを発症し、要介護状態になってしまいました。
カラオケ店を退職した当時は、「介護が落ち着いたら、数年で再就職しよう」と考えていましたが、現実はそんなに甘くなく、2020年ごろ、気づけばコロナ禍に突入。介護しながらデイサービスを利用し、母が寝ている深夜にアルバイトで生計を立てる日々です。それでも家計は火の車で、やはりフルタイムで働かなくてはと、派遣の求人を探し始めました。しかし、50代という年齢もあってか、応募してもなかなか結果が出ず、唯一返事をくれたのがUTのみ。そこからご縁をいただき、食品加工を担う吉田東栄CLに配属され、再び派遣としてフルタイムで働けるようになりました。
母親の徘徊を機にUTを退職。不安な時期を乗り越えて再入社へ

配属された吉田東栄CLでは、機械を使って餅をカットしていく作業を担当。15kgほどある餅を扱うため、体力的には大変でしたが、同じ職場の仲間と声を掛け合い、どうすれば効率よくできるかを教え合う雰囲気があって、私にとっては働きやすい環境でした。
ところが、配属から半年ほど経った頃に、突然母の徘徊が始まりました。デイサービスを利用していましたが、当時は原則として自宅の鍵は預けられない状況。私の出勤後デイサービスの方が来るまでの間に、母が家を出て迷子になってしまい、地域の方から職場にいる私に電話が入りました。母の体調も急に悪化してしまった時期で、この状態では働き続けるのは難しいと判断し、申し訳なさを感じながらも、UTを退職することを決意しました。
その後は、デイサービスの時間に合わせられる仕事を探しましたが、希望通りの勤務先は見つけられず。配送業者の仕分けの仕事に就いて、母が寝ている深夜の時間帯でやむなく働き始めました。ただこの職場は少し特殊で、2ヶ月働いたら次の1ヶ月は休みというサイクル。働かない月は家計が厳しく、スポットのアルバイトでしのぐ生活が続いて…。生活が安定しないことは精神的にも大きな負担があり、このままではいけないという思いが強くなっていきました。
そんな中、毎月行っている介護面談でケアマネージャーの方が私の状況を理解してくれて、これまで難しかった自宅の鍵をデイサービスに預けられるよう取り計らってくれたんです。これで働ける時間の選択肢がぐんと広がり、「UTに戻ろうかな」とふと思うようになりました。
UTを離れてからも、以前の担当者がこまめに連絡をくれていて、介護で辛いときにも「今どうされてますか?」と私を気にかけてくれたことが心に残っていました。以前も、すぐにフルタイムの配属先を見つけてもらえた信頼感もあり、再入社の案内をメールでいただいたことも後押しとなって、UTフリーパスを活用し、再入社で戻ることを決めました。
50代半ばで感じた体への負担と次の職場への不安。無理せずに働き続ける「職場異動」という選択肢

UTに再入社したのは私が54歳のときで、配属されたのは、スチール加工を担う太郎代CL。トラックの荷台に使うためのスチールを扱い、重量もあって体力的には厳しかったのですが、コツコツ作業を積み重ねていくのが好きな私は、この職場を辞めたいとは思っていませんでした。しかし、次第に腰への負担が大きくなり、ぎっくり腰を繰り返すようになってしまったのです。そのまま無理して働いていたら、ついには起き上がれなくなり、2025年7月半ばからは休まざるを得ない状況に。上下の動作がどうしても腰を痛める原因となってしまうため、現在の担当者である広瀬 健さんに「腰に負担のかからない職場があれば」と異動の相談を持ち掛けました。
広瀬さんは普段からとても丁寧に接してくださる方で、このときも「無理しないでくださいね」と優しく声をかけてくださいました。今現在、私が50代半ばという年齢もあり、フルタイムで働ける職場が少なくなっているのではないかという不安や、急な相談だったから次の配属先は難しいかもしれない、という諦めも感じていましたが、広瀬さんはすぐに動いてくれて、相談してから1週間以内に今の分水CLへの異動先を見つけてもらえました。
現在私は、大手家電メーカーの分水CLに異動し、蛍光灯の組み立てや外観検査を担当。一般的な家庭やオフィスで使われる蛍光灯で、重量も軽く、腰に負担をかけずに働けています。ライン作業で集中力を要しますが、数をこなすごとに達成感を得られ、自分に合っていると感じられますし、物が形になっていく過程に携われるのは製造業の醍醐味であり、今の職場にやりがいも感じられます。無理をして体を壊さないよう、これからは焦らずマイペースに、ここで長く働き続けていきたいです。
UTは相談をすればすぐに案件を提案してもらえて、迅速に調整してくれるのが大きな強みです。50代になると、親の介護や自身の体調など、さまざまな問題が出てきますが、1番大事なのはやはり、自分のメンタル。再入社や異動など、UTにはさまざまな選択肢がありますので、自分一人で抱え込まずに周囲に相談してみることで、道が開けると実感しました。

UTグループでは、再入社の方を歓迎しております。
今回インタビューをした方のように、同じ職場で働くことも、違う職場で働くことも可能です。 現在も、様々な職場が生まれています。
また、一度入社されている方向けの 採用ルートを構築しており、面接など面倒な手間をかけずに入社いただけます。
「もう一度UTで働いてみようかな…」そう思った方は ぜひ、ご応募ください!
■今回の記事と関連のある社内の仕組み
「UTフリーパス」、「Good job」
小路さんが活用した「UTフリーパス」は、退職した元技術職社員の再入社を促す仕組み。
退職後も会社の情報や再入社時に働ける仕事情報を受け取ることができたり、在籍時の経歴を引き継げることで、採用選考をスキップでき、スムーズな再入社が可能。
一方、「Good job」は、技術職社員を対象とした職場異動支援の仕組みです。
